高橋仁 3部から2部
1998年卒 ノルディック |
バップといって、部の規範に反すると上からおイタを受ける。その時にやったのは野沢温泉の宿で腹筋400回やらされて、お尻の皮がズルズルに剥けて風呂に5日間入れなかった。それが一番の嫌な思い出でした。いい思い出もあった。私が入学した時4年生が実力のある人ばかりで3部で確か3位だった。それが思い出、その後21世紀枠ということで確か5位で2部に上がった。コンバインドは自分らの代が最後でここ数年コンバインド選手が現れなかったということ。やっぱり社会人になってすごく時代が時代ですから、上下の関係が厳しいことを常に意識できる人間になれたというのが一番のことだと思う。
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大場新平 3部から2部
1999年卒 ノルディック |
他の大学と交流があったことがよかった。セクトの枠を超え、 8大学とか合宿の試合を通じて他大学の選手と仲良くなれた。
それは今でも生かされている。それが非常にいい思い出です。今でもゴルフコンペに行ったり、遊びに行ったりとか、そういう場をもてているというのが大学を卒業しても生かされていることだという感じがする。 |
江上智彦 3部から2部
1999年卒 |
僕らの大学の仲はよかったんですけど、本当に後輩が入らなくて、この70年の歴史が一度途絶えてしまうかもと思うくらい後輩が入らなかった。4年の時に2年と3年がいなかった。1年が3人ですね。白馬、大鰐、いずれも宿に恵まれず、部屋の中に雪が積もったのを覚えています。現役の時に60周年やったのを覚えています。70周年というのは歴史があると思います。 |
土屋英立 3部から2部
2000年卒 |
私の場合彼(江上)とは同期だったが、1年学校からはずれた。彼らが2部に上がった後、2部で戦わせていただいた。結果として2部に残留できずに3部に落ちてしまったのが大変申し訳ない思い出。大学時代に出会った友人、他大学も含めて和を持って付き合える。それが大切だった。 |
鈴木努 3部
2003年卒 アルペン |
自分が4年の時、後輩が誰もいなくて、このままでは誰も入らなくなったらスキー部の存続が危うかったとき、勧誘活動は地道に声を掛けたんですけど、やっぱり可能性が高いのは立教高校から勧誘するというのが、一番確率が高いので、上の先輩にも協力頂きながらなんとか入ってもらう。そのあとどんどん増え始めた。やっている当時は練習がきつくてやめたいなと思うときも何度もあって、それくらいつらい思いをしないと得られないものもあると思うが、結果的によかったと思う。 |