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70周年OB総会
1. 開宴 〜 挨拶   2. スキー部クイズ 〜 表彰・現役紹介   3. 当日の出席者インタビュー
 
【1. 開宴 〜 挨拶】
立教大学体育会スキー部70周年記念祝賀会

実施日:平成19年10月13日
場所:立教大学池袋キャンパス 第一学食

委員長:鈴木安一(昭和45年卒)
幹事長:小川裕彦(昭和54年卒)
委員:斉藤康(昭和30年卒)/土田作雄(昭和36年卒)/宮越雅巳(昭和38年卒)/岡村国男(昭和46年卒)/鈴木美知子(昭和46年卒)/平山良一(昭和50年卒)/塩見恭司(平成4年卒)/磯史洋(平成10年卒)/今福浩之(平成14年卒)/鈴木努(平成15年卒)/鈴木廣美(平成15年卒)
 
開宴は、鈴木美知子、青野芳久の司会によって始まり、過去10年間で亡くなった先輩物故者の御名前が読み上げられた。
 
昭和15年卒、野田俊彦先輩 創立からのメンバー、1部昇格に尽力、アルペンで活躍
昭和21年卒、日比正三先輩 戦時中スキー部で過ごす
昭和23年卒、楠秀雄先輩 北海道出身
昭和26年卒、田中弘先輩 戦後第1回のインカレに参加
昭和26年卒、岡田昭治先輩 アルペン、昭和23年、戦後初めて立教大学スキー部が出場した大回転競技に出場
昭和31年卒、真木昭先輩 赤城ハイランドロッジ経営、現役の合宿所として提供し、多くの後輩選手の育成に尽力する
昭和32年卒、霜越喜四雄先輩 昭和30年のインカレ・リレーで5位(1部)、31年(1部)のリレーで6位、32年のリレーと長距離で優勝(2部)。1部復帰の原動力となる
昭和33年卒、工藤幸彦先輩 アルペン
昭和34年卒、谷口博志先輩 ノルディック、昭和32年インカレジャンプで2位(2部)、昭和34年インカレ複合10位(1部)
昭和34年卒、城村泰光先輩 アルペン、昭和33年の1部滑降優勝、長年立教スキー部の監督を務め、後輩を育てる
昭和35年卒、宮沢秀雄先輩 アルペン、燕ハイランドロッジ経営。多くのアルペン現役に宿舎を提供、後輩の育成に尽力された
昭和35年卒、内山秀夫先輩 アルペン、昭和32年インカレ滑降10位(2部)、昭和33年インカレ滑降12位、回転13位(1部)
昭和36年卒、岩村建一先輩 マネージャー
昭和41年卒、塚越達雄先輩 マネージャー

立教大学スキー部第3代部長

小川徳治先生
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<昭和41年卒小嶋会長挨拶>
アルペンの小嶋と申します。本日はすでに全国各地から大変お忙しいところ、スキー部の創立70周年記念祝賀会にご出席賜りありがとうございました。
私が卒業して丸42年目になりました。さきほど大学、時計台、すずかけの小道を散策してまいりましたけど、とても41年過ぎてると思えず、つい最近のように思い出します。本日は遠く北海道から昭和18年卒の土田先輩がお見えになっております。この学び屋を卒業してからすでに60年を経過しているのであります。たぶん諸先輩方も大学に足を踏み入れたとしたら、ごく最近のように思われていると存じます。本日は3名の来賓の方の御出席を賜っています。お一人は数多い方の中で一番思い出深い方で4回の赤城山の合宿でお世話になりました。今、黙祷を捧げた真木昭先輩が経営していた赤城ハイランドロッジで合宿しましたが、その道子夫人がゲストとしてお見えです。拍手でお迎え下さい。それともう二方、前々部長である伊藤先生、それと前部長である斉藤先生です。そして現在部長である安松先生ですが、本日は日本サッカー協会の仕事で残念ですが皆様によろしくということです。

それではここでスキー部の歴史を紐解いてみたいと思います。
わが立教大学体育会スキー部は昭和12年の2月に大学より許可、同年9月に学連より正式加盟の許可が出て、昭和13年、1938年第11回全日本学生スキー選手権大会・小樽での大会だったそうですが、2部ということで初参加しております。当時はキャプテンに岡見先輩、そしてマネージャーに遠藤先輩、会計に中島先輩が名前に刻まれています。今年で71年目に入っており、数々の歴史の浮き沈みを経験しながら今日に至っています。第80回の全日本学生選手権、今回は妙高高原で行われましたが、4部で総合優勝ということで、来年からは3部で競技することになっています。

第40回の記念祝賀会は日比谷の松本楼で行なわれています。第50回の記念祝賀会は本日お見え頂いている斉藤康先輩の勤務している丸の内パレスホテルで行われました。それから10年前の60周年は半蔵門のダイヤモンドホテルで行なわれました。本日の70
周年はなつかしい第一学食で行ないます。

会員総数が226名だそうです。ただ私は思うんですけど登録員数が226名ですが、スキー部に関わり合いがあった方は、たとえばやめられた方を合わせると1割以上は増えると思います。先程黙祷しましたが物故者の数14名だそうです。物故者の方も事務局に連絡がない方もいらっしゃると思います。その間、スキー部の歴史、40周年の年に部誌を発刊しています。50周年の時にも部誌を発刊しています。私はたまたまそういう機会がありましたので、40周年の時の部誌と50周年の時の部誌に掲載された皆様の手記を念入りに読ませてもらいました。その中で手記を投稿された方は大学のスキー部に対する熱い想いを書いておられましたが、各人様々な思い出があると思います。たとえば非常に熱い記憶があって常に懐かしく、感じられる。また例えばあの時は嫌なことがあって思い出したくないという方もいると思います。しかし、その226名の皆様の共通項は10代の後半から20代前半まで、生命充実の時という、一番多感な時にセントポールという旗の下に、さらにスキー部という組織の中で4年間在籍したというのはまぎれもない事実なんです。そんな熱い思い出を時間の許す限りここで語り合って頂きたいと思います。

さらに80年、90年とわがスキー部がますます発展するように先輩のご尽力をお願いします。さあ、このようなめでたい席で乾杯願いたい。鈴木安一実行委員長、小川幹事、実行委員の方々、事務局の山下事務局長、本当にありがとうございました。
時間がある限りゆっくり楽しんでいってください。
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<斉藤宏前部長先生>

立教大学体育会スキー部が創立70周年を迎えるということで、この間努力をされて立
派な伝統を築き上げた諸先輩方に敬意を持って心からお喜び申し上げます。本当にお
めでとうございます。本日はこのような立派な会を開いて頂いた小嶋会長、鈴木実行
委員長ほか実行委員の方々の努力に感謝いたします。

私は1999年伊藤名誉会長の後を拝任して部長になりました。そして定年になる2004年までの5年の間、伝統あるスキー部の部長をさせて頂きました。
この間、たいへん短い期間でありましたが、思い出深い楽しい時間を過ごさせて頂きました。5年間といいましても20世紀から21世紀の2世紀にわたって部長をさせて頂いたと考えています。そういうこともあって、これからもお世話になりたいと考えています。

私が部長になった時、スキーをする人が減ってきた。衰退というんですか、そういう時期です。スキーに限らずどこの体育会でも部員の減少に悩んでおります。そして私が部長に就任した時もスキー部が数名という時でした。私はスキーは出来ませんので、私に出来ることは若い優秀な部員を獲得することではないかと感じ、そうした努力をしてきました。ちょうど立教大学で始まった特別入学をさらに発展させて、各方面の関係者に知って頂くと、関係高校が中心ですが、今までお世話になった高等学校の監督の皆様とコンタクトを取って、ぜひ優秀な学生をスキー部へと、ことあるごとにお願いしました。また春の新入生歓迎会に私も出て新入生獲得ということをした。それで徐々に部員が増えてきました。

昨年長野オリンピックが行われた白馬で、全日本学生スキー選手権が行われました。オリンピックのTVでも見覚えがある距離競技を応援し、ちょうどはじめて距離に出た選手がスキーの具合が悪くてだいぶ遅れて残念ながら棄権ということになってしまいまして、彼が戻ってきて本当に涙をこぼして来年は頑張ります。距離だけでなく、ジャンプも飛びます、と言ったことを覚えている。そういうこともあり、今年の大会では多くの学生が距離にジャンプにコンバインドに大活躍し、4部優勝の原動力になった。彼のそういう悔しさは負けず嫌いを発展させたと思います。
もうひとつは彼が伝統ある立教大学スキー部に入って、その素晴らしさ、重みを感じて僕も頑張らなきゃいかんということがこういう結果になったと考えています。今年度大会は、いよいよ3部に昇格しました。

ますます皆様、頑張って欲しいと思います。今後立教大学スキー部、OB会の益々の発展を願って、本日ご出席の皆様の益々のご健勝を祝って、祝いの言葉とさせて頂きます。

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宴会は土田祐治先輩の乾杯の音頭で始まり、歓談の後スキー部クイズの時間に入った。
 
2. スキー部クイズ
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